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ウィンブルドンの女子選手について
ウィンブルドン大会のある女子プレイヤーの存在が、その後のウィンブルドンのスタイルを決めたことをご存じですか。
ウィンブルドンは、オール・イングランド・ローンテニスクラブという団体が毎年主催している、最も古い歴史を持つテニスグランドスラム4大会のひとつですが、又、唯一芝生コートで行われる伝統と格式を持つ大会として知られています。
このウィンブルドン大会の会場となるのは、イギリスロンドンの郊外にあるオール・イングランド・クローケ・アンド・ローンテニスクラブで、第1回大会は、1877年といいますから日本では明治時代の初頭までさかのぼるわけです。
1922年に会場が現在の場所に移転して以来、グランドスラム大会唯一である芝生のコートを維持しています。
女子が参加するようになったのは1884年からとなりますが、この時優勝したモード・ワトソンが白ずくめのウエアで登場して大変注目を集め、以来、ウィンブルドン大会では「白いウエア」の着用が男女共に義務付けられるようになったといわれています。
このルールは非常に徹底されていて、練習の時であっても出場選手は白を基調としたウエアとシューズを着用しなければなりません。
さて、色はともかく、19世紀のウィンブルドン女子プレイヤーのファッションとはどんなものだったのでしょう。
それは、現代とは全く異なり、社交着同様のバッスルスタイルだったのです。
バッスルスタイルとは、まるで昔の映画に登場するような、スカートの後ろの部分にバッスルという腰当てを入れてふっくらさせた社交用のドレススタイルで、フリルの付いたブラウスや、床に届いてしまうロングスカート、足元はハイヒールといういでたちでプレイしていたのです。
そして、ロングスカートですと裾をよく踏むので、「スカート吊り上げ器」と呼ばれる、裾を挟んで吊り上げる道具が必需品だったそうです。
ちなみに明治中期には日本でも貴婦人はこの服装でゴルフを始めたという記録があります。
従って、モード・ワトソンのテニスウェアは、現在の女子プレイヤーが着用するようなミニスカートやショートパンツとは大きく異なる、足首までのスカート丈がある白いドレスをまとっていたということになります。
どうもその当時はカラフルなカラーのものが多かったようで白いドレスはイメージが鮮烈だったのかもしれません。
ちなみにモード・ワトソンは第1回と2回大会の優勝者です。
ウィンブルドン女子プレイヤーのシングル最多優勝者はチェコスロバキアのマルチナ・ナブラチロワの9回です。(彼女は1975年アメリカに亡命、現在二重国籍)
何と彼女は、ダブルスでもウィンブルドンの最多優勝者で7回獲得しています。
もちろん他でも活躍した選手で、シングルス167勝、ダブルス177勝というWTAツアーの最多優勝記録保持者で、4大大会でのシングル通算18勝も当時ライバルだったクリス・エバートと並んで女子歴代4位タイという記録です。
女子最年少での優勝者はスイス人のマルチナ・ヒンギスで、優勝した1997年当時はまだ16才の少女だったのですから驚きです。
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